私にとって、愛とは・・・

なぜ、ひとに「悲しみ」という感情があるのか・・・
僕はその理由を知りません。

悲しみなんて、すべてなくなればいいのに・・・ と、そう願いながらも、
悲しみのない世界がどんな世界なのか、
僕には、その世界を想像することができません。

もし、悲しみがなくなれば・・・
ひとは、ほんとうにしあわせになれるのでしょうか・・・

この問いかけが許されるなら、神なる存在に、そう尋ねてみたい気がします。

「愛」もそうです。

ただ、「悲しみ」とは違い、「愛のない世界」を知ることはできます。
さまざまな作家が「愛のない世界」を描いていますが、僕の心に最も残った作品は、遠藤周作さんが「女の一生 二部・サチ子の場合」で描いた、第二次世界大戦中、ポーランドの古都クラクフ郊外にあった「アウシュビッツ強制収容所」の風景です。

「ここに・・・・・・愛があるのかね、神父さん」
ひきつった声でその囚人は笑った。
「あんた、本当にそんなことを信じているのか」

「ここに愛がないのなら・・・・・・」
と神父はかすれた声で言った。
「我々が愛をつくらねば・・・・・・」

新潮文庫「女の一生 二部・サチ子の場合」 遠藤周作 著より引用

なぜ、ナチス・ドイツはその「収容所」を作ったのか。
ユダヤの人々に対する、ヒトラーの「歪んだ思い」はどこから生まれたのか。
そんな彼を、ドイツの人々は、なぜ「支持」したのか。
また、彼は実際に「どのような政治」を行ったのか。

もしかしたら、そのような(教科書に書かれていないことも含めて)歴史の背景を学んでから、この作品を読んだ方がいい・・・のかもしれませんが、たとえ、そうでなくても・・・

ここに登場する・・・マキシミリアン・コルベ神父の言う「愛」が容易くないことは明らかです。容易い「愛」などないと、今は思いますが、自らの内なるものの何が「愛」なのか、僕はずっと理解していませんでした。自らの内なるものの何が「愛」であるのかを知り、その重さを初めて理解したのは、二十歳を過ぎてからのことでした。

人生では、縁も、所縁もない人と、偶然同じ場所で、同じ時を生きることがあります。そして、その隣人と生涯をともにするわけでも、なんでもないのに、その人の「現在」を例えようもなく、重たく感じることがあります。

例えば、学校の先生になって・・・
クラスの子どもたちに対して感じる気持ちが、そうです。

まだ、若かった頃のことです。

僕は、他者への気持ちが、際限なく重たくなる理由がわかりませんでした。
例えようもなく、他者(クラスの子どもたち)への気持ちが重たくなるのを感じたある夜、郷里の父に電話して、その重さの理由を尋ねたことがありました。

どんなに心を尽くしても、こちらのしてほしくないことばかりする、クラスの子どもたちを『なんで心配してしまう』のか、その本当の理由が知りたかったのです。

郷里の父の部屋の机の上には、十字架があり、聖書と祈祷書が常にきちんと置かれていました。部屋の壁には作り付けの本棚があり、青年期に入った僕はそこから遠藤周作さんの「沈黙」や「海と毒薬」、八木重吉さんの「貧しき信徒」などを手にすることになります。父に連れられて教会へ行くことも、子ども心には不思議でしたが、僕の家では年中行事のひとつでした。父にとってイエス・キリストは、とても大切な存在であったようです。僕は、そんな家庭で育ちました。

その晩、電話の向こう側で、父は、ただ黙って、僕の話をきいていました。
なぜ、彼がずっと黙っていたのか、今はその理由がわかるような気がしますが・・・。
父がいつまでも黙っていることに耐えかねて、僕は彼にこう尋ねました。

「お父さんの信じる神なら、こんな時は何て言うの?」

「救い・・・って、何」

それまで黙っていた父が、即答しました。

「救いなんて、ない」

「それなら、なんなの。遠藤(周作)さんの『沈黙』と同じじゃないか。
 やっぱり、お父さんの神も黙ってるの?」

僕は、いちばん知りたかった疑問を重ねて彼にぶつけました。

「なんで、こんなに、赤の他人の人生が重いの?」

それから、父がゆっくりと、まるでひとりごとを言うかのように、答えてくれた言葉を、僕は今でも覚えています。それが、次の言葉でした。

「(私の名前)・・・な、ちんけな、安っぽい言葉に、聞こえるかもしれん。
 ちんけな、安っぽい言葉に、聞こえるかもしれんけど・・・」

「私は、それが愛だと思う。」

電話はそこで切れました。

内なる悲しみを分かち合うことは困難ですが、内なるこの愛は共有できます。

「女の一生 二部・サチ子の場合」 遠藤周作 著

青年期に読むべき、価値ある一冊だと思います。
初版は昭和61年ですが、現在でも重版されており、新しい本が入手できます。

ぜひ、手に取ってみてください。