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タンデム・シート

2023年3月31日(金)、僕は自由になった。

だったら、4月1日(土)は、

どこへ行こうか・・・
何をしようか・・・

先週の終末は、雨だった。
今週末、この地域は・・・晴れの予報だ。
それなら土曜日の、いちばん、は・・・ 16歳の頃から決まってる。

ずっと雨だったから、止まったままの・・・
ダブル・オーバー・ヘッド・カムシャフト・・・ インライン4。
そうだ。僕の空冷四気筒DOHCエンジンに、火を入れよう。

右のリアショックからは、オイルが漏れてる・・・
30年モノだもの、壊れないほうが不思議。

空冷の四気筒エンジンが、当たり前に存在した時代があったことを、
聞き伝えではなく、原体験として語れるのは・・
もしかして、僕らの世代が・・・最後、なんじゃないか・・・?

30年を・・・さらに越えて、時はこんなに流れても・・・
きみの見た目は、なんにも、変わらない。

初めて出会った、あの日のままさ・・・。
タンクも、それから、エンジンも、まだ輝きを残してる。

でも、お互い、年齢を重ねた・・・。
ウソだろって・・・本気で、思うよ。
出会って、もう、30年・・・。

燃料チャージはキャブレターだから、駆けだすには十分な暖気運転が必要だし、
例え、オイルが熱くなっても、今はもう、1万回転以上は怖くて回せない・・・

きみを壊したくない気持ちは、もちろん、本当だけど。
僕も、もう、若くないんだ。身体がエンジンの回転数に追いつかない・・・
いつも、動きが一瞬遅れるのを感じる・・・それも、本当なんだ・・・。

僕だけの偏見かな?
きみが大好きな理由さ・・・

キャブレター吸気のエンジンには・・・、うまく言葉に出来ないんだけれど、
インジェクター仕様のエンジンには絶対にない、楽しさ があるんだ。
チョークを引いて、掛けるエンジンなんて・・・
もしかしたら今は、知らない人のほうが、多いんじゃないか。

「掛かるかな・・・?」って、スターターを廻す度に感じる、ドキドキ感。
そして、掛かった瞬間の、言葉にできない・・・うれしさ。

きみのエンジンに、もし、キックペダルがあったら、
エンジンを掛ける度に・・・僕は泣き崩れていた・・・かも、しれない。

こんなに好きなのに、
もう二度とラインアップされることのない・・・
空冷四気筒DOHCエンジン。

・・・だから、僕は、繰り返してしまう。

きみへの想いと、
過去と、
現在とが、
交差する時を。

雨の日に、火酒を片手に、これまでにいったい何時間・・・
きみのエンジンを眺めたことだろう。

晴れた日には、16歳だった・・・、あの日に還って。
きみのエンジンの咆哮を、何度、たまらない想いで・・・聴いたことだろう。

お互いに年齢を重ねた・・・だから、スライダーもありかな・・・って

こんなに美しい機械を、僕は他に知らない。
これを造ったひとは、いったい、どんなひとなんだろう。

焼けたオイルの匂いが好き

憧れてたんだ・・・

『あいつとララバイ』の研二くんの駆る『Z2』に・・・

僕のは・・・1990年2月発売の KAWASAKI ZEP400 Type C2。
オリジナルのメーターはC3以降のと違って、砲弾型じゃなかったから、
SUZUKIのバンディットのを、無理やり、くっつけた。
心配した車検も、このままで、通った!

正直、C3以降のオリジナルよりインパクトがあるんじゃないかな?
このメーター。あんまりないでしょう?
白い文字盤と、オレンジの指針の組み合わせが、好きなんだ。

別の日のスナップ。オイルが漏れていたリアショックをオーリンズに交換。

ミラーも角ばったノーマルのじゃなくて、
丸いZ2タイプのショートミラーに変えた。
おかげで、後ろは、なぁーんにも見えなくなったけど、気にしてない。
昔は、右側だけ付けてたけど・・・、規則では左もないとダメみたいだ・・・。

ウインカーは、オリジナルのはプラスチックが劣化して折れちゃったから、
一昨年、ずっと憧れてた・・・、小さなヨーロピアンタイプのに、替えた。

ステップは、BEET 工業の『スーパーバンク・バックステップ』
ノーマルのは、おとなしすぎたから、ステップ位置を少し後ろ、少し、上へ変えた。
タンデムステップが付くのが、うれしかった・・・。

彼女は、真夜中に一度だけ、乗ってくれた。
あれからタンデムは1回もしてないけど・・・。

ずっとセパレートだった・・・ハンドル。
取り回しと、何より車検がたいへんだから、今はノーマルに戻した。
あの頃は毎週末、上野のバイク街に、通いつめて、夢に見たカタチを探したんだ。

セパレート・ハンドルにしてた頃は・・・
トップブリッジ外して、ハンドル付けて・・・
タンクに干渉しないか、何度も確かめてから、ハンドル位置を決めて・・・

ウインカーやチョークの操作ユニットがセットできるよう、
そうだ。ハンドルに穴を開ける加工を、ドリル片手にやったんだ・・・。

ガレージのそこだけ、光が当たって、輝いてる感じだった。

組み上がったハンドルを握った、その瞬間。
今でも覚えてる。

きみと、ひとつになれた・・・気がした。

マフラーは、定番の、モリワキの直管。
焼けて錆びる度に、サンドペーパーをかけて、耐熱塗料を塗り直した・・・。
アクセルを開ければ・・・車検対応って、マジ、ウソだろ・・・ってくらいの・・・いい音。
3速、8000回転あたりのエキゾースト・ノートが最高・・・気持ちイイ。

雨の日は絶対に乗らないから、後ろのフェンダーは取り外した。
ナンバーを取り付けるための代替部品は、厚さ2mmのアルミ板を半日かけて、糸鋸で切り出して作った。気が遠くなるような作業だったけど・・・

すごく、楽しかったな・・・。

サイドカウルとシールも、テールカウルも、それから、尾灯も・・・
全部、Z2タイプの、それに、変えた。

もちろん、タンクのエンブレムは旧字体の KAWASAKI に。
古い両面テープはギター用のオレンジ・オイルで剥がした。

あの夜は・・・ ガレージの中が、いい匂いだったな・・・。

全部、よく見なければ、わからないけど。
自己満足だから、イイんだ。

オイルクーラーは、今はノーマルだけど・・・
前は EARL’S のそれを付けてた。
ホースの部品が劣化して割れちゃってから、交換して、そのままになってる・・・

認めたくなんか、ないけど・・・
そうだ、確かに、30年という「時」が、流れたんんだ。

時に、激しく、
時に、静かに。

きみが、赤茶けたサビなんて、まだ知らずに輝いてた、あの日から・・・

今は、もうお互いに、時代遅れさ・・・。でも、それでいいじゃないか・・・

永遠にとまるな・・・
きみの鼓動。

僕は・・・ きみが、大好きだ。

4月1日の空は、気持ちよく、晴れた

『タンデム・シートに乗らないか・・・』

 隣で、クルマのハンドルを握る彼女に、そう、聞いてみた。

『怖いから、イイ』

 きみは、覚えてるか・・・

 菜の花が、咲いてたよな・・・
 すごい、気持ちよかった。

 彼女が待つ場所へ、
 きみと走った・・・。

 あの日を。

自己一致

幼い頃は、欲しかったおもちゃを買ってもらえたら、もうそれだけで幸せでした。
ひとは成長するにつれて、欲しいものを手に入れたり、内なる希望を実現するには、苦労を伴う努力が必要なことを知ります。

ひとがなぜそのように成長するのか?
あくまでも「僕にとって」という但し書き付きなのですが、その答えを知る「きっかけ」となったのがマズローの心理学との出会いです。

Abraham Harold Maslow(アメリカ合衆国の心理学者、1908 – 1970)

また、すべての物事には、始まりに必ず、何らかの「きっかけ」があり、「きっかけ」を得て初めて、ひとの「心」に変化が起きるわけですから・・・このプロセスが非常に重要で、ひとの想いと行動を考える上では、物事の始まりとなる「きっかけ」は、絶対に見落としてはならない、重要な要素であると思います。

マズローは自身の発表した欲求5段階説で、人間の欲求を「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」の5つの階層に分類し(後に、自己実現の欲求の、さらに1階層上に「自己超越の欲求」を付け加えますが)、人はより低次元の欲求が満たされて初めて、より高い次元の欲求の実現を求めるようになると、定義しました。

【マズローの欲求5段階説】

6.自己超越の欲求・・・自らを犠牲にしてもよいから、貢献する/理念の実現を図る。
5.自己実現の欲求・・・自分らしい自分を生きるために満たしたい欲求。
4.承認の欲求・・・他者から認められたいという欲求。
3.社会的欲求・・・人間社会の集団に所属したい欲求(所属と愛情の欲求とも)。
2.安全の欲求・・・安心かつ安全な環境の中で暮らしたいという欲求。
1.生理的欲求・・・睡眠等、生きるために最低限満たされる必要がある欲求。

ひとの成長期の前半から後半にかけて、このマズローの欲求5段階説の3階層目及び4階層目である「社会的欲求」や「承認の欲求」が現れ、ひとはその欲求を満たすため、様々に努力します。

社会の仕組みそのものが、人間の発達段階に合わせて作られているから、ちょうどこの時期に入試や入社・採用試験が集中するのは、当然です。

現実社会には様々な矛盾があり、現実が理想に一致しない状態・・・そう、私たちが「ふしあわせ」と呼ぶ状態が存在することも、私たちはこの時期に(否応なく)知ることになります。もちろん、それとは逆に、自らが理想とする状態と、現実が合致している状態が「しあわせ」であることも・・・。

そのような意味での「しあわせ・ふしあわせ」は、「周囲から見て、ある基準と比較して相対的に判断される」ものではなく、あくまでも本人の中での「理想」と「現実」の一致、いわゆる「自己一致」の有無のみによって決まるものと言えます。

だから、常人には耐え難い苦痛を伴うことが明白なオリンピックのマラソン競技でも、それに出場することを目指した選手にとっては、オリンピックに出て金メダルを取ること(自らの理想)と、それを実現するために苦しい練習が必要なことは当然(現実)だから、彼らが日々行う「一般人から見れば苦痛以外の何ものでもない過酷な練習」も、本人的には、その必要性において完全に「自己一致」しています。この「自己一致」があるから、マラソンの選手は、普通の人ならば確実に死んでしまうような練習を毎日普通に行い、しかも、その苦痛に満ちた状態を「しあわせだ!」と表現できてしまったりするわけです。

10代後半における、所属と承認の欲求の実現の具体例をひとつ挙げよと問われたら、多くの人が、その最たるものは「大学入試である」と答えるのではないでしょうか?

次に示すのは、ある教員が書いた先輩教師への手紙です。

最近、こんな出来事がありましたので、お伝えしたく、筆を取りました。

昨年、秋が深まった頃、模擬試験の問題がわからないと、質問に来てくれた子がいました。

出来る限り、丁寧に解説して、理解が深まるようアドバイスしたのですが・・・、解説の最後に「わかったかい?」と、そう訊ねると、その子は俯いたまま、涙をポロポロこぼして言いました。

(どんなに努力しても、模試を何回受けても、毎回同じ点数で成績が全然上がらない)

(いったい、どうすれば応用問題が解けるようになるんですか?)

あぁ・・・ 僕でよければ、代わりに試験を受けてあげたい。
そう、思ったのですが、それはできません。

(このまま、この子を帰すわけにはいかない。今、自己一致させるには、どうすればいい・・・)

僕は、死に物狂いで考えました。
そして、こう、言いました。

「わからない問題があったから、もっとよくなりたくて、きみは質問にきた。
 今、きみのやってることは、間違いか。それとも、正しいことか、どっちだい?」

その子は、泣きながら、でも、はっきり答えました。

「正しいことです。」

「ならば、それを続けるしかないじゃないか。
 わからないことがあれば、悩んでる暇なんか、ない。すぐにおいで。
 きみがわかったと言うまで、きみにつきあうぞ。
 僕もわからない問題なら、わかるまでいっしょに考える。
 それだけは、絶対に、約束する。」

「もし、それでダメなら、僕を一生恨んだらいいじゃないか。」


今年度の大学入学共通テストが行われた翌週の月曜、放課後、
午後5時を過ぎてあたりがすっかり暗くなった頃、
その子が僕の準備室をたずねてくれました。


(できたかい?)

ほんとうは、そう言いたかったのですが、この場合、そうは言えません。

「全力を出し切れたかい?」

僕は、そう訊ねました。

「はい。47点取れました。先生のおかげです。」
(この科目の満点は50点です)

(僕は、何もしていない・・・)

僕は、本当に、何もしていない。ただ、できる限り、丁寧に、その子の質問に答えただけなのですが、人は本当に不思議な生き物です。

どうしてこんなにも、胸が熱くなるのか、その理由を、僕は、今も、言葉にできません。

手紙の中の彼女が「ある教員」のところへ質問に来た時、彼女の中に「自己一致」がありませんでした。つまり、応用問題が解ける状態(=理想)と、応用問題が解けない状態(=現実)の不一致が、彼女の「不幸な状態」を作っていたわけです。

「ある教員」は、彼自身のこれまでの経験から、彼女の中で「自己一致が失われている」ことが苦しみの最大の原因であることに気づき、短時間で、何とかして、それを作り出そうとします。

現実の中で「よくなりたい」から質問に来た。それを確認することで、引き続き「よくなる」ためにはそれが最善の方法だと再確認がとれ、自らの行いの正しさを再認識することで、現実的には「まだ応用問題が解けるようにはなっていない」にもかかわらず、彼女の中に「この正しいことを繰り返して行けば応用問題が解けるようになるかもしれない」という「希望」が生まれます。すると現実的には「何ひとつ変わっていない」のに、「不幸せ」だった状態が「自分は正しい」という「幸福」な状態に変化します。

これが「自己一致」です。

さらに「ある教員」は、彼女の特別な味方であることを強調しています。相手の弱さや苦しみを自分の中に見て、相手の行動が正しい場合には、肩を並べ、ともに生きる姿勢を示すことで、相手の中に「生きるちから」を再生することができます。

最後の「一生恨んだらいい」には、カウンセリング的な意味はありません。
「ある教員」独特の個性でしょう。

相手への最大限の誠意の上に、カウンセリングの知識と技法を乗せれば、相手に「しあわせ」をプレゼントすることができます。これが「言葉の魔法」です。

ここに書いたことに加えて「共感的理解」・「受容と許容」について学べば、より一層知識を深めることができます。

この物語の彼女は、卒業式当日、「ある教員」へ手紙を書いてきてくれました。

 あの日、私の中で何かガラっと変わった気がします。

たったひとつ、自己一致が生まれた、それだけでひとはこんなにも強くなれるのですね。

現在、長時間労働等の問題がクローズアップされ、教員志望者が減少し、教員不足が深刻化していると聞きました。教員の仕事は、日々、自らの学びを深め、技能を向上させることで、児童・生徒のみなさんのためだけでなく、職場の同僚に対しても貢献でき、人間として感じられるこれ以上ない「よろこび」と「感動」に出会える仕事だと思います。

教員希望者のみなさん! がんばってください。
世はきみが立つのを待っています!!

【お断り】

この物語に登場した「彼女」は実在する、とてもすてきな女の子です。
本人の掲載許可を得た上で、ここに書かせていただきました。
また、このエピソードはある「公」の場で語られたものであり、個人を特定してその秘密を公開する意図はなく、法的な守秘義務にも反しないものと判断して掲載しています。

私にとって、愛とは・・・

なぜ、ひとに「悲しみ」という感情があるのか・・・
僕はその理由を知りません。

悲しみなんて、すべてなくなればいいのに・・・ と、そう願いながらも、
悲しみのない世界がどんな世界なのか、
僕には、その世界を想像することができません。

もし、悲しみがなくなれば・・・
ひとは、ほんとうにしあわせになれるのでしょうか・・・

この問いかけが許されるなら、神なる存在に、そう尋ねてみたい気がします。

「愛」もそうです。

ただ、「悲しみ」とは違い、「愛のない世界」を知ることはできます。
さまざまな作家が「愛のない世界」を描いていますが、僕の心に最も残った作品は、遠藤周作さんが「女の一生 二部・サチ子の場合」で描いた、第二次世界大戦中、ポーランドの古都クラクフ郊外にあった「アウシュビッツ強制収容所」の風景です。

「ここに・・・・・・愛があるのかね、神父さん」
ひきつった声でその囚人は笑った。
「あんた、本当にそんなことを信じているのか」

「ここに愛がないのなら・・・・・・」
と神父はかすれた声で言った。
「我々が愛をつくらねば・・・・・・」

新潮文庫「女の一生 二部・サチ子の場合」 遠藤周作 著より引用

なぜ、ナチス・ドイツはその「収容所」を作ったのか。
ユダヤの人々に対する、ヒトラーの「歪んだ思い」はどこから生まれたのか。
そんな彼を、ドイツの人々は、なぜ「支持」したのか。
また、彼は実際に「どのような政治」を行ったのか。

もしかしたら、そのような(教科書に書かれていないことも含めて)歴史の背景を学んでから、この作品を読んだ方がいい・・・のかもしれませんが、たとえ、そうでなくても・・・

ここに登場する・・・マキシミリアン・コルベ神父の言う「愛」が容易くないことは明らかです。容易い「愛」などないと、今は思いますが、自らの内なるものの何が「愛」なのか、僕はずっと理解していませんでした。自らの内なるものの何が「愛」であるのかを知り、その重さを初めて理解したのは、二十歳を過ぎてからのことでした。

人生では、縁も、所縁もない人と、偶然同じ場所で、同じ時を生きることがあります。そして、その隣人と生涯をともにするわけでも、なんでもないのに、その人の「現在」を例えようもなく、重たく感じることがあります。

例えば、学校の先生になって・・・
クラスの子どもたちに対して感じる気持ちが、そうです。

まだ、若かった頃のことです。

僕は、他者への気持ちが、際限なく重たくなる理由がわかりませんでした。
例えようもなく、他者(クラスの子どもたち)への気持ちが重たくなるのを感じたある夜、郷里の父に電話して、その重さの理由を尋ねたことがありました。

どんなに心を尽くしても、こちらのしてほしくないことばかりする、クラスの子どもたちを『なんで心配してしまう』のか、その本当の理由が知りたかったのです。

郷里の父の部屋の机の上には、十字架があり、聖書と祈祷書が常にきちんと置かれていました。部屋の壁には作り付けの本棚があり、青年期に入った僕はそこから遠藤周作さんの「沈黙」や「海と毒薬」、八木重吉さんの「貧しき信徒」などを手にすることになります。父に連れられて教会へ行くことも、子ども心には不思議でしたが、僕の家では年中行事のひとつでした。父にとってイエス・キリストは、とても大切な存在であったようです。僕は、そんな家庭で育ちました。

その晩、電話の向こう側で、父は、ただ黙って、僕の話をきいていました。
なぜ、彼がずっと黙っていたのか、今はその理由がわかるような気がしますが・・・。
父がいつまでも黙っていることに耐えかねて、僕は彼にこう尋ねました。

「お父さんの信じる神なら、こんな時は何て言うの?」

「救い・・・って、何」

それまで黙っていた父が、即答しました。

「救いなんて、ない」

「それなら、なんなの。遠藤(周作)さんの『沈黙』と同じじゃないか。
 やっぱり、お父さんの神も黙ってるの?」

僕は、いちばん知りたかった疑問を重ねて彼にぶつけました。

「なんで、こんなに、赤の他人の人生が重いの?」

それから、父がゆっくりと、まるでひとりごとを言うかのように、答えてくれた言葉を、僕は今でも覚えています。それが、次の言葉でした。

「(私の名前)・・・な、ちんけな、安っぽい言葉に、聞こえるかもしれん。
 ちんけな、安っぽい言葉に、聞こえるかもしれんけど・・・」

「私は、それが愛だと思う。」

電話はそこで切れました。

内なる悲しみを分かち合うことは困難ですが、内なるこの愛は共有できます。

「女の一生 二部・サチ子の場合」 遠藤周作 著

青年期に読むべき、価値ある一冊だと思います。
初版は昭和61年ですが、現在でも重版されており、新しい本が入手できます。

ぜひ、手に取ってみてください。

花が咲いたよ

朝、仕事に行こうとして家の玄関を出たら・・・

スイセンの花が咲いていた。

僕は、大好きな、八木重吉さんの詩を思い出した・・・

 花

花はなぜ美しいか
ひとすじの気持ちで咲いているからだ

僕は、悲しみの塊のような人間だから、
どうしても過ちを繰り返してしまう・・・

たとえ、ひとすじの気持ちであっても・・・
それが自分にとって、どんなに美しいものであっても・・・
だれかを傷つけるなら、それは間違いだ。

空を見上げて、きみに心から謝りたいです。
ほんとうに、ほんとうに、ごめんなさい。

そう思ったら・・・
大好きな、八木さんの詩を、もうひとつ、思い出せた。

 ひかる人

私をぬぐうてしまい
そこのとこへひかるような人をたたせたい

ほんとうに、その通りだ。
それができたら、どんなにか、こころが明るく、軽く、なるだろう・・・

こんな くだらない僕を・・・
ひと思いに、ぬぐいさってしまえたら。

それが僕の ほんとう であるのに・・・
それが僕の 偽りなき ほんとう であるのに・・・

昨日の報道発表を聞いて
たくさんのひとが・・・僕に会いに来てくれて
美しい涙を流してくださった・・・

ぬぐいさってしまいたいような・・・こんな 僕のために。

わたしのまちがいだった
わたしのまちがいだった
こうして草にすわれば
それがわかる

あと何度、混乱を繰り返したら、美しい気持ちになれるだろう・・・
どれだけ思い悩んだら、この僕を卒業できるだろう・・・

どこに向かって歩けば、いちばん僕らしく、歩けるだろう

誰ひとり、傷つけずに・・・
誰ひとり、困らせずに・・・
静かに美しく咲いていた・・・

今朝、見た あのスイセンの花のように。

花が咲いたよ
花が咲いたよ
幼かった僕なら、きっと・・・笑顔で
そう、今の僕に言ったに違いないけど。

Begin

今日は、出張だった。

遅れてはならない大切な打ち合わせだったから、時間には十分余裕を持って出た。
昼を食べていなかったので、途中、コンビニでパンを買って・・・
僕は、なつかしい公園の駐車場にクルマを止めた。

最初から、そうしようと決めていたんだ。
数分間でもいい。思い切り、思い出に浸りたかった・・・。
新しい風景を見る、その前に。

(街路樹が・・・なくなってる?)

たしか、あそこには、ポプラ並木があった・・・はずだ。
僕だけじゃなくて、公園もいつしか年齢を重ねてた。

今の職場に6年・・・
その前の職場には4年・・・
この公園によく立ち寄ったのは、さらにその前の職場にいた頃だから、もう10年以上前のことだ。

あの頃、言葉にできないことがあると・・・
帰り道、ここでよく空を見上げた。
空は青かったこともあるし、茜色だったことも、星が瞬いていたこともあった。

樹があった場所に、10年の歳月と、今がある気がする・・・

(空港を出発したばかりの飛行機だ・・・)

そうだ・・・みんなを乗せて・・・ 遠い、とおい、ところへ・・・

優しかった微笑み
あの日の拍手
それから・・・ それから・・・

思い出せることすべてが泣きたくなるほどに、美しいのはなぜ・・・

思えば、胸いっぱいに広がるさみしさと、別れのかなしみを感じながら
大切に思えてならない多くのひとのしあわせを祈り続けてきた・・・たくさんの三月。

これが・・・ 僕の仕事なんだ。

今は、まだ、どうしても、うつむきたくなるけれど・・・
きっと思い出せるはずだ。

Begin

そう、Begin

美しい思い出とともに、また、きっと・・・歩き出せる。

Object Pascalと、僕と。

『有終』

日本語には、たまらなく美しい言葉がある。
僕は、言葉たちに触れる度、いつも、その美しさを思う。

有終。

この言葉は、ことのほか、美しく、哀しみに溢れて、そして儚い。

卒業の日はいつも・・・
この言葉を、思い出してきたけれど・・・

きみは、今日まで、どれほどの悲しみにたえてきたことだろう。

今日、きみの話をきいて・・・
僕の理解の、はるか向こう側に、きみの深い悲しみがある気がした。

それでも、きみは、今日へ向かって、精一杯に歩いたんだね。
それだけは、僕にも理解できたよ。

きみは決して負けなかった。
ほんとうに、よく、がんばったね。

目指したことの終わり。その終わり方が「大切」なのはもちろんだね。
では、目指したことの、終わりへ向かって、どう「歩くか」。
その「歩き方」を、この冬の経験から、きみは確かに学んだはずだ。

若いんだ。一度くらい、がむしゃらになってもいい。
思い切り転んだっていい。口惜しさに、涙することが・・・ あっても、いい。

でも、最後に努力が報われて、
笑顔のきみに会えて、ほんとうに・・・、本当に・・・、よかった。

合格。心から、おめでとう。
僕自身、壊れそうなくらい、うれしい。

これだけの経験をしたんだ。
失くしたものよりも、きみが得たものは大きいはずだ。
それを『 何よりも 』大切にして、これからは、もっと きみらしく 歩くんだ。

ものごとには、必ず、終わりがある。
それが「いつ」訪れるのか、多くの場合、それもまた、見えている。
明日からは、きみが得たものが、そこへ向かう「歩き方」を きみに教えてくれるはずだ。

やがて、きみは、レディになる。
そう・・・ お父さんが愛した、きみのお母さんのような、すてきな、レディに。

自分も、それから周りの人たちも・・・
みんながしあわせになれる歩き方を、レディは最初に考える。

レディになったきみに会えないのは、とても残念だけれど・・・、
ひとつだけ、信じ切れることがあるから・・・

その時、きみのとなりには、きみを心から愛してくれる、
すてきな彼が、必ずいてくれるはずだ・・・。

たとえ、レディになったきみであっても・・・

彼の前でなら、もう表情を隠さなくてもいい。
彼の前でなら、もう無理して微笑まなくてもいい。
そう・・・、彼の胸でなら、安心して声をあげて泣いていい。

きみのほんとうを、心を、
これまできみにあったことのすべてを包む・・・
彼の優しさと、きみへの愛を、僕は心から信じている。

さっきは、必ずと言ったけれど・・・
僕の中には、唯一、終わることのない、永遠もある。

きみと僕との運命の線は、ここで交差し、再び離れ、日々その距離を増し、
もう二度と交わることはないだろう。それでも・・・。

今日、うまく言葉にできなかったけど、
これが、きみに、伝えたかったことなんだ・・・

きみと、きみのお父さん、弟さん、おばあちゃん、
そして・・・、きみのお母さん

きみと、きみにつながるすべての人のしあわせを願う
この想いは、永遠なんだ。

僕の中で、間違いなく、永遠なんだ。
終わりなんて、ない。

だから、空を見上げるたびに・・・
きみのしあわせを願い、祈っている。

いつも、そして

いつまでも ・・・