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それは冷蔵庫のドアの警報音じゃなくて・・・

このところ、料理にハマっている・・・。自分の人生で、お湯を沸かす以外の目的でキッチンに立つことは絶対にないだろうと、これまでずっと思っていたし、実際、何十年もその通りだったのだ、けれど。

ふとしたことから、マニュアル通りにやれば、自分にも美味しい料理が作れることに気が付いてしまったのだ・・・。

それは、それですごく良かったことなんだけれど、今日、起きたトラブルは・・・

1.冷蔵庫のドアの汚れに気付く

そんなこんなで休日の昼食は、このところ、自分で作ることが多くなった。そのために調味料もそろえたし、調理用具も買った。まさか、こんな日がくるなんて思いもしなかったのだけれど、もうかれこれ3ヶ月くらい、休日は自分で作る昼食を続けている。

今日、いつもと違ったのは、冷蔵庫のドアが、いつの間にか、結構汚れていることに気が付いてしまったことだ。もちろん、気が付いた以上、掃除をしないわけにはいかない!

冷蔵庫のドアには、閉め忘れを防止するためのセンサーが付いているから、ドアを開けたまま掃除していると、当然、警報音が鳴る。

ピピッ ピピッ

もちろん、警報音は無視。エタノールを含んだウェットティッシュで、ひたすら汚れを落とす。

ピピッ ピピッ

( わかってるよー )

ピピッ ピピッ

やっと、きれいになった!
ドアを閉めて・・・ひと安心、これで、やっと昼食が作れる。

2.昼食を作り、食べて、片付けてたら・・・

水から、調味料まで、すべてレシピ通りに計量し、調理時間も最近は一家に1台はあるんじゃないか?みたいな、いわゆる「スマートスピーカー」とか「スマートアシスタント」と呼ばれる アレ! に正しく計測してもらう。計測中の自分自身の動きも毎回同じなので、ほとんど調理ロボットだ。

料理は何の問題もなく完成。一緒に暮らしている人にもおすそ分け。この上ないくらい、しあわせな休日のお昼ごはんTimeを過ごす。レシピを作り、公開してくださった方に、心から感謝!

食べたら今度は後片付けだ。自分で言うのもナンだけど、洗い物も別に苦にならない。調理器具がキレイになると、すごくうれしいし、乾燥させた後は一緒に暮らしている人が片付けてくれるので、とにかくキレイに洗えば、それでOK!

以前は食洗器を使っていたのだが、なんか調子が悪くなって、いつの間にか、使うのをやめてしまった・・・。あの頃は、食洗器に洗い物を並べるのが「食べる」以外の部分で、自分と料理との唯一の接点だったのだけれど。

(変われば、変わるもんだよなー)

そんなことを思いながら、お皿を洗っていると・・・

ピピッ ピピッ ピピッ ピピッ ピピッ・・・

間違いなく、警報音が聞こえる。背後にある冷蔵庫をじっと見つめる。見た目、ドアはきちんと全部しまっている。いちおう、全てのドアを手で押して確認。動くドアは「ない」。つまり、間違いなく、すべて完全に閉まっている。なのに、しばらくすると・・・

ピピッ ピピッ ピピッ ピピッ ピピッ・・・

冷蔵庫のドアについている操作パネルを適当にいじって見る。警告の表示は見当たらない。なのに、また、しばらくすると・・・

ピピッ ピピッ ピピッ ピピッ ピピッ・・・

どうやら、1分間隔で警報音が鳴るようだ。しかし、その原因がわからない・・・

もしかして、冷蔵庫のセンサーが壊れた?

そう思いたくなったのが、正直で、本当の気持ち。

(気持ちは本当ですが、メーカーさんの名誉のために一言。冷蔵庫に問題はありませんでした)

3.いっしょに暮している人に相談する

ある理由があって、一緒に暮らしている人は、一般ピープルよりも家電に強い。だから、とりあえず言って見た。

「冷蔵庫のドア閉め忘れの警報音が鳴りやまないんだけど・・・」

たたたた(駆け出す音)、一緒に暮らしている人は、行動もとても素早い。自分自身は、その後ろ姿を見送ったあと、しばし、炭酸水で乾いた喉を潤す。んで、しばらくしてからキッチンへ降りてみると、どこにしまってあったのか、冷蔵庫の操作マニュアルが伝家の宝刀のように取り出され、広げられていて・・・

一緒に暮らしている人が、まるで大発見でもしたかのように断言。

「警報音が鳴るときは、こんな表示が出ると書いてあるけれど、表示が一切ない!」

冷蔵庫のディスプレイを見れば、それは明らか。
なんの表示もない。それなのに・・・

ピピッピピッピピッピピッピピッ・・・

1分経過するごとに、規則正しく、警報音は鳴り響く。

「原因不明。がんばったけれど、もぉ無理。」

「こうなったら、お客様相談室に電話しよう!」

さすが同居人。あきらめも潔い。言うが早いか、家電を持って、ピッポッパ。

4.原因判明

「少々、お尋ねしたいのですが・・・」

「はい、警報音が消えなくて・・・」

「冷蔵庫には、操作マニュアルにあるような表示が出なくて・・・」

「でも、警報音が・・・」

お客様相談センターの係員の方から、ここで何か、アドバイスがあったらしく・・・

「あっ、はい。ガスコンロですか? はい、あります。冷蔵庫の前です。」

「へっ」・「あっ!」

なんと警報音を出していたのは、ガスコンロの鍋無し検知機能だったのです!

調理の最終段階で、鍋の保温のため、ガスコンロの火力を最小にして、そのまま鍋を外して火を消し忘れ、その「ガスコンロを切らない」ままの状態で、そのこと自体を忘れて放置・・・

規定の15分が経過。コンロは安全装置が働いて、自動消火。ただ、着火レバーはONのままなので、冷蔵庫ではなく、冷蔵庫のそれに非常によく似た、ガスコンロの警報音が、鳴り続けることに。

でも、自分は、最初に聞こえたドア解放の警報音から、音源は冷蔵庫だと思い込んで。
それを伝え聞いた、一緒に暮らしている人も、音源は冷蔵庫だと思い込んで、いるから・・・

お互い、まさか、それがガスコンロの警報音だなんて、夢にも思わず・・・

冷蔵庫の、ひたすら平らなドアは、真向かいにあるガスコンロの警報音をよく反射する・・・

そう、まるで自分がそれを発しているかのように。

5.M社のお客様相談センターのスタッフの皆様へ、心から感謝申し上げます。

それにしても、凄いのは、一緒に暮らしている人の言葉を丁寧に聞き取って下さり、問題の真の原因にいち早く気が付いて教えてくださったM社のお客様相談センターのスタッフの皆様のご対応です。

ご対応から、拝察すると、おそらくは同じような事例が、過去に多々・・・

優しく、丁寧に、ご案内してくださっただけでなく、最後に「ご迷惑をお掛けして」とお詫びの言葉まで頂戴し。

M社の冷蔵庫は最高です!
購入してはや8年、ただの1度も不具合なく、日々、勤めを忠実に果たし、
期待通りの冷たさで、ありとあらゆる食材を冷やし続けてくれています。

壊れたなんて、疑って、ほんとうにごめんなさい。

6.まとめ

(1)ガスコンロの消し忘れ警報音は、冷蔵庫のドア閉め忘れの警報音によく似ている。
(2)キッチンで警報音が鳴り響いたら、冷蔵庫だけを疑ってはいけない。
(3)ガスコンロを使用したら、最後にレバーのOFFを必ず確認する。

プログラミングも、調理も、安全確認という最も重要な部分は、まったく同じでありました。そのことに思いを深くした、誠に貴重な経験でありました・・・が、もしも、もしも可能なら☆

「これは、冷蔵庫のドア閉め忘れの警報音です」とか、「これは、ガスコンロの鍋無し検知機能の警報音です」って、個別に案内してもらえると、まったく混乱せずに済んだので、最高に良かったかもですが。

そんな、わがままは、置いといて・・・

ガスコンロのレバーをOFFにし忘れても、自動的に消化するという、画期的な安全装置の開発者の方々にも、心から、心から、感謝です!

火事にならなくて、よかったー!!

引き返す勇気


雲に覆われたピークまでの高低差は、残り100 m。

そこに行くだけの力は、まだ残っていた。


しかし・・・

標高に比例して強まる風。

確実に悪化する天候。

残り100mの高度を往復するのに必要な時間と体力。

予報では、明日は未明から雨・・・

予定を変更して、今日中に下山すれば、最も危険な鎖場を天候が持つうちに通過できる・・・

ただし、予定2日分の行程を今日の日没までに歩かねばならない。


行くか、戻るか。

この状況から判断すれば、選択すべき答えは明らかだ。

いつかまた、ここへ 来ればいい。

登頂を断念し、僕たちは引き返すことを選んだ。


標高が下がると、先ほどまでの強風は徐々に弱まり、

冷気を孕んで吹く風は「天然のクーラー」のようで 心地よかった。

左足親指の巻き爪にできた、小さな肉芽腫の痛みだけが、自分の中の不安要素だが。

でも、まだ、足を引きずらずに歩くことは出来る・・・

パーティの仲間たちを心配させるわけにはいかない。

ゼリー飲料

途中の小屋前の広場で大休止。昼食を摂るために湯を沸かす。

バーナーの力強い音を聞きながら、ふと隣を見ると何もせずに手元を見つめているきみがいた。

そうか・・・。この先には、往路、登攀に苦しんだ連続する鎖場がある・・・

「食べたくないのかい?」

そう問うときみは涙色の目をして、無言で頷いた。

今日の行程は長い。グリコーゲンが尽きたら歩けなくなる。

何としても日没までにベースキャンプまで降りなければならない。

「ゼリーなら食べれる?」

頷くきみに、僕はザックから行動食のゼリー飲料を取り出した。

アタック時のエネルギー補給用に、重いのを我慢して持ってきたものだ。

ここまで運んできたことを思うと少しのためらいはあったが、今はそれより大切なことがある。

ゼリー飲料を受け取ったきみがそのキャップを廻すのを見て、一安心。

「大丈夫。登れたんだ。降りれないわけがない。」

きみは涙目のまま、少し笑って、頷いた。

クライミング・リーダー

「 ザイル出せ 」

登攀リーダーは力強くそう言うと、受け取ったザイルを左肩に掛け、切り立った崖に立った。

その姿は、古代ローマの戦士のように見えた。

体力に優れたサブリーダーがザックのピストン輸送を登攀リーダーに申し出た。

ロッククライミングの経験が豊富な登攀リーダーがメンバーと自らをザイルで結ぶ。

短い言葉で、的確にステップの切り方を指示。

最後に僕が降りて、最大の難所である連続した鎖場をメンバー全員が無事通過した。


よかった。でも、まだここは雲の上だ。

僕たちは、あの雲の下へ行かねばならない。

水場

標高が下がるにつれて気温と湿度が高くなり、発汗が激しくなった。

山頂近くで吹いていた冷たい強風が嘘のようだ。

休憩時だけでなく、身体が欲する度、ひと口、ふた口と、少しずつ水を飲む。

ゴクゴク、音を立てて飲みたくなるが、必死で我慢する。

朝、1.5L あったはずの水。出発時にはその重さから必要十分な量といつも思えてならないが・・・

ザックのハーネスに付けたペットボトル内の水の残量は、今、残り1/3もない。

登りで水を補給した、岩清水の湧く水場が、もう近いはずだ・・・。


水は、ザックの重さを左右する・・・。

水を入れると極端に重みを増すザック。

今回の山行では、真水2.0Lに加え、ペットボトル飲料500mLを3本用意した。

これだけで3.5kg・・・。山行初日、荷の重量は20kgを超過した。

ザックの比較的高い位置に水をパッキングしたため、岩場の登攀時に身体が振られて困ったが。

ヒトは水無しではいられない。


ようやく水場へ到着。岩の割れ目から清らかな冷水がこんこんと湧き出している。

この山系に降った雨が、地下に染み渡り、岩盤で濾過され、冷水となって・・・

ここで湧き出すまでに、いったいどれくらいの歳月を必要とするのだろう・・・


先に到着したメンバーが、歓声をあげて水をペットボトルに詰めている。

水を汲む前に、ペットボトルに残ったぬるい水を一気に全部飲む。

ここまで運んできた水だ。捨てる気になど、到底、なれない。

ザックを開けて空の水筒も出し、ペットボトルと合わせて冷水1.5Lを補給する。

ここでは我慢する必要はない。

古第三紀の花崗岩で濾過された透明で美しい水をペットボトル1本分、そのまま飲む。

ゴクゴク・・・ のどが鳴る。

( なんて うまい 水 なんだろー! )

再び、補給してペットボトルを冷水で満たす。

持っている水筒とペットボトルをフル活用すれば3.5L補給することも可能だが1.5Lに留める。

山行3日目で軽くなったと言っても、まだザックの重さは間違いなく15kg以上ある・・・

これを16kgにするか、18kgにするか、この状況で、どちらか一つを選ぶなら・・・

少しでも軽く・・・ 少しでも軽く・・・ そう気持ちが傾くのは当然だ。

とにかく、この水がなくなる前に、ベースキャンプまで降りなければならない。

ようやく太陽は大きく傾きはじめ、日没が少しずつ近づいてくる。

あとは時間との競争だ。

僕の体力は持つだろうか・・・

肉芽腫

悪いことに、左足親指の爪の左側にできた肉芽腫が次第に強く痛むようになってきた。

時折り、大電流が流れて、強く痺れるような、激しい痛みが僕を襲う。

そうなると、とても歩くどころではない。

両ひざに手をついて、じっと痛みがおさまるのを待つ。

傍から見れば、バテて休憩しているようにしか見えないだろう・・・。


記憶にある往路は、木の根が縦横に入り組んだ、傾斜のきつい、一歩の高低差の大きい登り道。

所々に風化した花崗岩の露頭・・・そう、真砂の上を登る箇所もあった・・・

登り始めから森林限界を超えるまで、その風景の繰り返しだった。

今は、登りが下りに変わっただけで、ゴールまで記憶にあるこの風景が続くのだ。

泣いても、わめいても、誰も僕を救援してはくれない。

自分の命は、自分で運ぶしか ない。

山と交わした その約束は 絶対 だ。


実は、山行前から左足に小さな違和感があった。

山行の一週間ほど前に足の指の爪を切った際、左足親指の爪を少し深く切りすぎたのだ。

( しまった! )と思った時は、後の祭り。


爪と指の細胞のつながりの部分を、僕は切ってしまっていた・・・。


山行2日目に一人用テントの中で、就寝前に靴下を脱ぐと、そこには小さな肉芽腫が出来ていて・・・

流れ出る血と膿を見た瞬間、たまらなく不安になったけれど、

これ以上酷くならないことを祈りながら、絆創膏をそっと患部に貼るくらいしか・・・

僕にできることはなかった・・・。


山行3日目の今日は、朝から状態を1度も確認していないのだけれど、

痛みから想像して、肉芽腫が成長していることだけは間違いない。

今、ここで出来る「治療」など、あるわけがない。

痛みは、生きている証拠。

そう考えて痛みに耐え、一歩一歩前へ進む。

きみと小休止

気がつくと、僕の前を行く きみが 少しずつ遅れ始めた・・・。

決して初心者ではない、きみだけれど、

危険を避けるために必要な予定プラスアルファの行動は、

おそらく、きみの体力とギリギリいっぱい。

そのちいさな肩に、今日のザックは少し重かったに違いない。

僕の左足の痛みは増す一方だけれど、まだ、きみと同じ速さで歩くことは出来る。

僕は、そっと、きみの後ろへついた。


「少し、休んでも いいですか?」

僕の本当を知らない きみがかけてくれた声は、僕の心の声だった。

最後の小休止

みんなが小休止する小広場に、ふたりは少しだけ遅れて到着。

ザックを降ろす間もなく、そのまま地面に崩れ落ち、僕はタオルで汗を拭う。

( もう少しで、ゴールだ・・・ )

ただ、それだけを思う。

息が荒いわけではない。熱中症の心配も、まずない。

呼吸は正常。意識も明瞭。まだ、水もある。

だけど・・・ もう、足が動かない・・・。


ザックのウエストベルトのポケットからブドウ糖のタブレットを取り出す。

錠剤を2つ、掌に落として口へ運び、そのまま、ガリガリと噛み砕く。

ここまで幾度となく、この行動を繰り返してきたけれど、感覚として「何か」が違う。

もしかして、グリコーゲンが尽きた? 多分、そうだ。

( もうすぐ・・・ 動けなくなる )

日没まで、残された時間はあとわずか・・・

もし、引き返していなかったら・・・

登攀リーダーの決断の本当を、体験として理解できた瞬間だった。


経験豊かな登攀リーダーは、山行全体を見ていた。

単に「頂上直下が強風」だから「下山する」のではなく、

そこから山頂を往復するまでに消耗する体力と時間、

さらに、今後悪化する天候を見越して、

今日中にベースキャンプまで降りるのに必要な体力と時間。

メンバー全員のそれを、すべて計算した上での判断だった。


隣ではサブリーダーが、地面に座り込んだきみに声をかけていた。

「あたまを前に・・・」

水場で汲んできた冷たい水をかけてもらって、

きみは少しだけ、自分を取り戻した。

登攀リーダーは、予め、このシーンがあることを予測していたに違いない。


「ここから先は、これまでより高低差のない道がゴールまで続きます・・・」

地図を確認したメンバーが、みんなに説明する声が聞こえる。

最後の出発の合図だ。


地面に降ろしたザックと向かい合う。

左右のショルダーハーネスを掴んで、両手でザックを持ち上げ、両ひざの上に乗せる。

荷の重さを実感する瞬間だ。

そのまま、向かって右のショルダーハーネスに左腕を通す。

身体を右に回転させ、両ひざを伸ばし、その反動を利用して、ザックを背にする。

ウエストベルトを締めて、ショルダーハーネスのスタビライザーを引く。

そこにどんな物理的理由があるのか、僕にはわからないが、ザックは急に軽くなる。

( 唯、歩めば 至る アイン ツバァイ ドライ・・・)

遠い日の記憶を胸に、パーティの最後尾を僕は行く。

きみが左右に揺れながら、僕の前を歩いている・・・。

きみと歩く

行動を開始したのは、午前5時8分だった。

もう、それから12時間以上が経過している・・・。

木々の合間に見える谷の風景。まだ、その底は見えない。

谷底には、ベースキャンプがあるはずだ。

ベースキャンプさえ、見えたなら・・・


きみと僕の歩みは、もどかしいまでに遅くなる。

気持ちはどんなに歩きたくても、もう足が上がらない・・・ 足が前に出ない。

そうだ・・・ 前にも、同じシーンがあった・・・。


確かに・・・ 今と、同じシーンがあった・・・

あの時も・・・

きみは、歩みを止めなかった。


きみの歩みに導かれて

僕は、歩き通すことができた。


今も、きみが前にいる。

きみが、ゆっくりと、歩いている。

それが、今、僕にある 確かなことの すべてだ。

ベースキャンプ

木々の合間に、緑色のテントが見えたような気がした。

よく見るとそれはしかし、日差しを浴びた谷の反対側の森だった。

谷底を流れる川の音はずっと聞こえているが、大きくも小さくもならない。

所々に「倒木に注意」と書かれた看板があり、チェーンソーで切断された丸太が転がっている。

確か、登りはじめに、見た風景だ。


あと何メートルだろう?

あとどれだけ歩けば、いいのだろう?

山行の終わりは、いつも自分の限界との戦いだ・・・。


何か、谷ではないものが、見えた気がした。

木立の隙間に見えるものは、間違いなく平らな地面だ。

とうとう、帰ってきた・・・。

同時に、視野の左に動きを感じる・・・。


人が登ってくる・・・

ザックを置いたサブリーダーだ。

僕たちを心配して、迎えに来てくれたんだ。


合流したサブリーダーがきみの状態を確かめている。

「 ゴールまでがんばろうか 」

体力に優れたサブリーダーは、しかし、きみのザックを背負おうとはしなかった・・・。

きみの気持ちへの最大限の配慮が、その言葉から感じられた。


三人で歩く道は、いつしか広くなり、自動車も入れる林道となった。

その林道の向こうから、みんなが手を振ってやってくる。

先にゴールしたみんながザックを置いて、最後尾の僕たちを迎えに、

いま、降りたばかりの道をのぼってくる。


目指したピークには、誰も立てなかった。

でも、メンバーの誰一人、後悔なんかしていない。

それは全員の表情を見て明らか。みんな笑顔だ。

ピークに立つ、それ以上に大切なことを

僕たちは、この山行で学んだから。


それは ・・・ 「 引き返す勇気 」

言葉にすれば、わずか6文字だけど・・・。


でも、僕は信じたい。

きみが導いてくれる明日を。


あの雲と、風の、彼方に・・・

僕たちの頂きがあった。


僕たちは、いつか、そこへ行く。

必ず、行く。


それで、いいじゃないか。


それが、僕たちの勇気との、約束だから・・・。


うん。

大切な約束だから・・・。

人は半年先には、思ってもみなかった人生を生きる

いつか、父からそう聞いてはいたけれど。

ほんとうに、僕は・・・

2024年4月28日、僕が見た風景

だんだん、足が上がらなくなって・・・
何度も、もう、やめようと思った。

頂上へ行く途中で、日本でいちばん高い山も見れたし・・・

あきらめてもよかったんだ。
最初から、そのつもりだった。
先輩からのアドバイスも、時計を見て引き返せ・・・って。

なぜ、登れたのかな・・・

きみが歩き続けた・・・から?

今は、そうとしか、思えない。

雪には、ほんとうに苦しんだね。
3歩、歩けば潜ったし、

アイゼンが効かなくて・・・
きみも、僕も、何回、転んだか、わからない。

南アルプスの山並みの向こうに、中央アルプス(画面左)と、
その遥か彼方に、北アルプス(画面中央)が見えた・・・

いちばん、高い場所からは・・・

日本でいちばん高い山と、日本で2番目に高い山が見えた。

南アルプスの向こうには、中央アルプスが・・・

その遥か、彼方には北アルプスがあった。

そうだ。

北アルプス・・・
僕の青春があった場所だ。

白馬、立山、剣岳。
十七の頃、夢中で登ったんだ。

火打から、父と、富士山を見たこともあった・・・。

誰もいなかったら、きっと僕は泣いていた。

この風景が、この日の僕のすべてだ。

ずっと、探していた・・・
僕の立てる場所を、やっと見つけることが出来た。

ありがとう。
きみに、巡り合えて、ほんとうに、よかった。

タンデム・シート

2023年3月31日(金)、僕は自由になった。

だったら、4月1日(土)は、

どこへ行こうか・・・
何をしようか・・・

先週の終末は、雨だった。
今週末、この地域は・・・晴れの予報だ。
それなら土曜日の、いちばん、は・・・ 16歳の頃から決まってる。

ずっと雨だったから、止まったままの・・・
ダブル・オーバー・ヘッド・カムシャフト・・・ インライン4。
そうだ。僕の空冷四気筒DOHCエンジンに、火を入れよう。

右のリアショックからは、オイルが漏れてる・・・
30年モノだもの、壊れないほうが不思議。

空冷の四気筒エンジンが、当たり前に存在した時代があったことを、
聞き伝えではなく、原体験として語れるのは・・
もしかして、僕らの世代が・・・最後、なんじゃないか・・・?

30年を・・・さらに越えて、時はこんなに流れても・・・
きみの見た目は、なんにも、変わらない。

初めて出会った、あの日のままさ・・・。
タンクも、それから、エンジンも、まだ輝きを残してる。

でも、お互い、年齢を重ねた・・・。
ウソだろって・・・本気で、思うよ。
出会って、もう、30年・・・。

燃料チャージはキャブレターだから、駆けだすには十分な暖気運転が必要だし、
例え、オイルが熱くなっても、今はもう、1万回転以上は怖くて回せない・・・

きみを壊したくない気持ちは、もちろん、本当だけど。
僕も、もう、若くないんだ。身体がエンジンの回転数に追いつかない・・・
いつも、動きが一瞬遅れるのを感じる・・・それも、本当なんだ・・・。

僕だけの偏見かな?
きみが大好きな理由さ・・・

キャブレター吸気のエンジンには・・・、うまく言葉に出来ないんだけれど、
インジェクター仕様のエンジンには絶対にない、楽しさ があるんだ。
チョークを引いて、掛けるエンジンなんて・・・
もしかしたら今は、知らない人のほうが、多いんじゃないか。

「掛かるかな・・・?」って、スターターを廻す度に感じる、ドキドキ感。
そして、掛かった瞬間の、言葉にできない・・・うれしさ。

きみのエンジンに、もし、キックペダルがあったら、
エンジンを掛ける度に・・・僕は泣き崩れていた・・・かも、しれない。

こんなに好きなのに、
もう二度とラインアップされることのない・・・
空冷四気筒DOHCエンジン。

・・・だから、僕は、繰り返してしまう。

きみへの想いと、
過去と、
現在とが、
交差する時を。

雨の日に、火酒を片手に、これまでにいったい何時間・・・
きみのエンジンを眺めたことだろう。

晴れた日には、16歳だった・・・、あの日に還って。
きみのエンジンの咆哮を、何度、たまらない想いで・・・聴いたことだろう。

お互いに年齢を重ねた・・・だから、スライダーもありかな・・・って

こんなに美しい機械を、僕は他に知らない。
これを造ったひとは、いったい、どんなひとなんだろう。

焼けたオイルの匂いが好き

憧れてたんだ・・・

『あいつとララバイ』の研二くんの駆る『Z2』に・・・

僕のは・・・1990年2月発売の KAWASAKI ZEP400 Type C2。
オリジナルのメーターはC3以降のと違って、砲弾型じゃなかったから、
SUZUKIのバンディットのを、無理やり、くっつけた。
心配した車検も、このままで、通った!

正直、C3以降のオリジナルよりインパクトがあるんじゃないかな?
このメーター。あんまりないでしょう?
白い文字盤と、オレンジの指針の組み合わせが、好きなんだ。

別の日のスナップ。オイルが漏れていたリアショックをオーリンズに交換。

ミラーも角ばったノーマルのじゃなくて、
丸いZ2タイプのショートミラーに変えた。
おかげで、後ろは、なぁーんにも見えなくなったけど、気にしてない。
昔は、右側だけ付けてたけど・・・、規則では左もないとダメみたいだ・・・。

ウインカーは、オリジナルのはプラスチックが劣化して折れちゃったから、
一昨年、ずっと憧れてた・・・、小さなヨーロピアンタイプのに、替えた。

ステップは、BEET 工業の『スーパーバンク・バックステップ』
ノーマルのは、おとなしすぎたから、ステップ位置を少し後ろ、少し、上へ変えた。
タンデムステップが付くのが、うれしかった・・・。

彼女は、真夜中に一度だけ、乗ってくれた。
あれからタンデムは1回もしてないけど・・・。

ずっとセパレートだった・・・ハンドル。
取り回しと、何より車検がたいへんだから、今はノーマルに戻した。
あの頃は毎週末、上野のバイク街に、通いつめて、夢に見たカタチを探したんだ。

セパレート・ハンドルにしてた頃は・・・
トップブリッジ外して、ハンドル付けて・・・
タンクに干渉しないか、何度も確かめてから、ハンドル位置を決めて・・・

ウインカーやチョークの操作ユニットがセットできるよう、
そうだ。ハンドルに穴を開ける加工を、ドリル片手にやったんだ・・・。

ガレージのそこだけ、光が当たって、輝いてる感じだった。

組み上がったハンドルを握った、その瞬間。
今でも覚えてる。

きみと、ひとつになれた・・・気がした。

マフラーは、定番の、モリワキの直管。
焼けて錆びる度に、サンドペーパーをかけて、耐熱塗料を塗り直した・・・。
アクセルを開ければ・・・車検対応って、マジ、ウソだろ・・・ってくらいの・・・いい音。
3速、8000回転あたりのエキゾースト・ノートが最高・・・気持ちイイ。

雨の日は絶対に乗らないから、後ろのフェンダーは取り外した。
ナンバーを取り付けるための代替部品は、厚さ2mmのアルミ板を半日かけて、糸鋸で切り出して作った。気が遠くなるような作業だったけど・・・

すごく、楽しかったな・・・。

サイドカウルとシールも、テールカウルも、それから、尾灯も・・・
全部、Z2タイプの、それに、変えた。

もちろん、タンクのエンブレムは旧字体の KAWASAKI に。
古い両面テープはギター用のオレンジ・オイルで剥がした。

あの夜は・・・ ガレージの中が、いい匂いだったな・・・。

全部、よく見なければ、わからないけど。
自己満足だから、イイんだ。

オイルクーラーは、今はノーマルだけど・・・
前は EARL’S のそれを付けてた。
ホースの部品が劣化して割れちゃってから、交換して、そのままになってる・・・

認めたくなんか、ないけど・・・
そうだ、確かに、30年という「時」が、流れたんんだ。

時に、激しく、
時に、静かに。

きみが、赤茶けたサビなんて、まだ知らずに輝いてた、あの日から・・・

今は、もうお互いに、時代遅れさ・・・。でも、それでいいじゃないか・・・

永遠にとまるな・・・
きみの鼓動。

僕は・・・ きみが、大好きだ。

4月1日の空は、気持ちよく、晴れた

『タンデム・シートに乗らないか・・・』

 隣で、クルマのハンドルを握る彼女に、そう、聞いてみた。

『怖いから、イイ』

 きみは、覚えてるか・・・

 菜の花が、咲いてたよな・・・
 すごい、気持ちよかった。

 彼女が待つ場所へ、
 きみと走った・・・。

 あの日を。

自己一致

幼い頃は、欲しかったおもちゃを買ってもらえたら、もうそれだけで幸せでした。
ひとは成長するにつれて、欲しいものを手に入れたり、内なる希望を実現するには、苦労を伴う努力が必要なことを知ります。

ひとがなぜそのように成長するのか?
あくまでも「僕にとって」という但し書き付きなのですが、その答えを知る「きっかけ」となったのがマズローの心理学との出会いです。

Abraham Harold Maslow(アメリカ合衆国の心理学者、1908 – 1970)

また、すべての物事には、始まりに必ず、何らかの「きっかけ」があり、「きっかけ」を得て初めて、ひとの「心」に変化が起きるわけですから・・・このプロセスが非常に重要で、ひとの想いと行動を考える上では、物事の始まりとなる「きっかけ」は、絶対に見落としてはならない、重要な要素であると思います。

マズローは自身の発表した欲求5段階説で、人間の欲求を「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」の5つの階層に分類し(後に、自己実現の欲求の、さらに1階層上に「自己超越の欲求」を付け加えますが)、人はより低次元の欲求が満たされて初めて、より高い次元の欲求の実現を求めるようになると、定義しました。

【マズローの欲求5段階説】

6.自己超越の欲求・・・自らを犠牲にしてもよいから、貢献する/理念の実現を図る。
5.自己実現の欲求・・・自分らしい自分を生きるために満たしたい欲求。
4.承認の欲求・・・他者から認められたいという欲求。
3.社会的欲求・・・人間社会の集団に所属したい欲求(所属と愛情の欲求とも)。
2.安全の欲求・・・安心かつ安全な環境の中で暮らしたいという欲求。
1.生理的欲求・・・睡眠等、生きるために最低限満たされる必要がある欲求。

ひとの成長期の前半から後半にかけて、このマズローの欲求5段階説の3階層目及び4階層目である「社会的欲求」や「承認の欲求」が現れ、ひとはその欲求を満たすため、様々に努力します。

社会の仕組みそのものが、人間の発達段階に合わせて作られているから、ちょうどこの時期に入試や入社・採用試験が集中するのは、当然です。

現実社会には様々な矛盾があり、現実が理想に一致しない状態・・・そう、私たちが「ふしあわせ」と呼ぶ状態が存在することも、私たちはこの時期に(否応なく)知ることになります。もちろん、それとは逆に、自らが理想とする状態と、現実が合致している状態が「しあわせ」であることも・・・。

そのような意味での「しあわせ・ふしあわせ」は、「周囲から見て、ある基準と比較して相対的に判断される」ものではなく、あくまでも本人の中での「理想」と「現実」の一致、いわゆる「自己一致」の有無のみによって決まるものと言えます。

だから、常人には耐え難い苦痛を伴うことが明白なオリンピックのマラソン競技でも、それに出場することを目指した選手にとっては、オリンピックに出て金メダルを取ること(自らの理想)と、それを実現するために苦しい練習が必要なことは当然(現実)だから、彼らが日々行う「一般人から見れば苦痛以外の何ものでもない過酷な練習」も、本人的には、その必要性において完全に「自己一致」しています。この「自己一致」があるから、マラソンの選手は、普通の人ならば確実に死んでしまうような練習を毎日普通に行い、しかも、その苦痛に満ちた状態を「しあわせだ!」と表現できてしまったりするわけです。

10代後半における、所属と承認の欲求の実現の具体例をひとつ挙げよと問われたら、多くの人が、その最たるものは「大学入試である」と答えるのではないでしょうか?

次に示すのは、ある教員が書いた先輩教師への手紙です。

最近、こんな出来事がありましたので、お伝えしたく、筆を取りました。

昨年、秋が深まった頃、模擬試験の問題がわからないと、質問に来てくれた子がいました。

出来る限り、丁寧に解説して、理解が深まるようアドバイスしたのですが・・・、解説の最後に「わかったかい?」と、そう訊ねると、その子は俯いたまま、涙をポロポロこぼして言いました。

(どんなに努力しても、模試を何回受けても、毎回同じ点数で成績が全然上がらない)

(いったい、どうすれば応用問題が解けるようになるんですか?)

あぁ・・・ 僕でよければ、代わりに試験を受けてあげたい。
そう、思ったのですが、それはできません。

(このまま、この子を帰すわけにはいかない。今、自己一致させるには、どうすればいい・・・)

僕は、死に物狂いで考えました。
そして、こう、言いました。

「わからない問題があったから、もっとよくなりたくて、きみは質問にきた。
 今、きみのやってることは、間違いか。それとも、正しいことか、どっちだい?」

その子は、泣きながら、でも、はっきり答えました。

「正しいことです。」

「ならば、それを続けるしかないじゃないか。
 わからないことがあれば、悩んでる暇なんか、ない。すぐにおいで。
 きみがわかったと言うまで、きみにつきあうぞ。
 僕もわからない問題なら、わかるまでいっしょに考える。
 それだけは、絶対に、約束する。」

「もし、それでダメなら、僕を一生恨んだらいいじゃないか。」


今年度の大学入学共通テストが行われた翌週の月曜、放課後、
午後5時を過ぎてあたりがすっかり暗くなった頃、
その子が僕の準備室をたずねてくれました。


(できたかい?)

ほんとうは、そう言いたかったのですが、この場合、そうは言えません。

「全力を出し切れたかい?」

僕は、そう訊ねました。

「はい。47点取れました。先生のおかげです。」
(この科目の満点は50点です)

(僕は、何もしていない・・・)

僕は、本当に、何もしていない。ただ、できる限り、丁寧に、その子の質問に答えただけなのですが、人は本当に不思議な生き物です。

どうしてこんなにも、胸が熱くなるのか、その理由を、僕は、今も、言葉にできません。

手紙の中の彼女が「ある教員」のところへ質問に来た時、彼女の中に「自己一致」がありませんでした。つまり、応用問題が解ける状態(=理想)と、応用問題が解けない状態(=現実)の不一致が、彼女の「不幸な状態」を作っていたわけです。

「ある教員」は、彼自身のこれまでの経験から、彼女の中で「自己一致が失われている」ことが苦しみの最大の原因であることに気づき、短時間で、何とかして、それを作り出そうとします。

現実の中で「よくなりたい」から質問に来た。それを確認することで、引き続き「よくなる」ためにはそれが最善の方法だと再確認がとれ、自らの行いの正しさを再認識することで、現実的には「まだ応用問題が解けるようにはなっていない」にもかかわらず、彼女の中に「この正しいことを繰り返して行けば応用問題が解けるようになるかもしれない」という「希望」が生まれます。すると現実的には「何ひとつ変わっていない」のに、「不幸せ」だった状態が「自分は正しい」という「幸福」な状態に変化します。

これが「自己一致」です。

さらに「ある教員」は、彼女の特別な味方であることを強調しています。相手の弱さや苦しみを自分の中に見て、相手の行動が正しい場合には、肩を並べ、ともに生きる姿勢を示すことで、相手の中に「生きるちから」を再生することができます。

最後の「一生恨んだらいい」には、カウンセリング的な意味はありません。
「ある教員」独特の個性でしょう。

相手への最大限の誠意の上に、カウンセリングの知識と技法を乗せれば、相手に「しあわせ」をプレゼントすることができます。これが「言葉の魔法」です。

ここに書いたことに加えて「共感的理解」・「受容と許容」について学べば、より一層知識を深めることができます。

この物語の彼女は、卒業式当日、「ある教員」へ手紙を書いてきてくれました。

 あの日、私の中で何かガラっと変わった気がします。

たったひとつ、自己一致が生まれた、それだけでひとはこんなにも強くなれるのですね。

現在、長時間労働等の問題がクローズアップされ、教員志望者が減少し、教員不足が深刻化していると聞きました。教員の仕事は、日々、自らの学びを深め、技能を向上させることで、児童・生徒のみなさんのためだけでなく、職場の同僚に対しても貢献でき、人間として感じられるこれ以上ない「よろこび」と「感動」に出会える仕事だと思います。

教員希望者のみなさん! がんばってください。
世はきみが立つのを待っています!!

【お断り】

この物語に登場した「彼女」は実在する、とてもすてきな女の子です。
本人の掲載許可を得た上で、ここに書かせていただきました。
また、このエピソードはある「公」の場で語られたものであり、個人を特定してその秘密を公開する意図はなく、法的な守秘義務にも反しないものと判断して掲載しています。

私にとって、愛とは・・・

なぜ、ひとに「悲しみ」という感情があるのか・・・
僕はその理由を知りません。

悲しみなんて、すべてなくなればいいのに・・・ と、そう願いながらも、
悲しみのない世界がどんな世界なのか、
僕には、その世界を想像することができません。

もし、悲しみがなくなれば・・・
ひとは、ほんとうにしあわせになれるのでしょうか・・・

この問いかけが許されるなら、神なる存在に、そう尋ねてみたい気がします。

「愛」もそうです。

ただ、「悲しみ」とは違い、「愛のない世界」を知ることはできます。
さまざまな作家が「愛のない世界」を描いていますが、僕の心に最も残った作品は、遠藤周作さんが「女の一生 二部・サチ子の場合」で描いた、第二次世界大戦中、ポーランドの古都クラクフ郊外にあった「アウシュビッツ強制収容所」の風景です。

「ここに・・・・・・愛があるのかね、神父さん」
ひきつった声でその囚人は笑った。
「あんた、本当にそんなことを信じているのか」

「ここに愛がないのなら・・・・・・」
と神父はかすれた声で言った。
「我々が愛をつくらねば・・・・・・」

新潮文庫「女の一生 二部・サチ子の場合」 遠藤周作 著より引用

なぜ、ナチス・ドイツはその「収容所」を作ったのか。
ユダヤの人々に対する、ヒトラーの「歪んだ思い」はどこから生まれたのか。
そんな彼を、ドイツの人々は、なぜ「支持」したのか。
また、彼は実際に「どのような政治」を行ったのか。

もしかしたら、そのような(教科書に書かれていないことも含めて)歴史の背景を学んでから、この作品を読んだ方がいい・・・のかもしれませんが、たとえ、そうでなくても・・・

ここに登場する・・・マキシミリアン・コルベ神父の言う「愛」が容易くないことは明らかです。容易い「愛」などないと、今は思いますが、自らの内なるものの何が「愛」なのか、僕はずっと理解していませんでした。自らの内なるものの何が「愛」であるのかを知り、その重さを初めて理解したのは、二十歳を過ぎてからのことでした。

人生では、縁も、所縁もない人と、偶然同じ場所で、同じ時を生きることがあります。そして、その隣人と生涯をともにするわけでも、なんでもないのに、その人の「現在」を例えようもなく、重たく感じることがあります。

例えば、学校の先生になって・・・
クラスの子どもたちに対して感じる気持ちが、そうです。

まだ、若かった頃のことです。

僕は、他者への気持ちが、際限なく重たくなる理由がわかりませんでした。
例えようもなく、他者(クラスの子どもたち)への気持ちが重たくなるのを感じたある夜、郷里の父に電話して、その重さの理由を尋ねたことがありました。

どんなに心を尽くしても、こちらのしてほしくないことばかりする、クラスの子どもたちを『なんで心配してしまう』のか、その本当の理由が知りたかったのです。

郷里の父の部屋の机の上には、十字架があり、聖書と祈祷書が常にきちんと置かれていました。部屋の壁には作り付けの本棚があり、青年期に入った僕はそこから遠藤周作さんの「沈黙」や「海と毒薬」、八木重吉さんの「貧しき信徒」などを手にすることになります。父に連れられて教会へ行くことも、子ども心には不思議でしたが、僕の家では年中行事のひとつでした。父にとってイエス・キリストは、とても大切な存在であったようです。僕は、そんな家庭で育ちました。

その晩、電話の向こう側で、父は、ただ黙って、僕の話をきいていました。
なぜ、彼がずっと黙っていたのか、今はその理由がわかるような気がしますが・・・。
父がいつまでも黙っていることに耐えかねて、僕は彼にこう尋ねました。

「お父さんの信じる神なら、こんな時は何て言うの?」

「救い・・・って、何」

それまで黙っていた父が、即答しました。

「救いなんて、ない」

「それなら、なんなの。遠藤(周作)さんの『沈黙』と同じじゃないか。
 やっぱり、お父さんの神も黙ってるの?」

僕は、いちばん知りたかった疑問を重ねて彼にぶつけました。

「なんで、こんなに、赤の他人の人生が重いの?」

それから、父がゆっくりと、まるでひとりごとを言うかのように、答えてくれた言葉を、僕は今でも覚えています。それが、次の言葉でした。

「(私の名前)・・・な、ちんけな、安っぽい言葉に、聞こえるかもしれん。
 ちんけな、安っぽい言葉に、聞こえるかもしれんけど・・・」

「私は、それが愛だと思う。」

電話はそこで切れました。

内なる悲しみを分かち合うことは困難ですが、内なるこの愛は共有できます。

「女の一生 二部・サチ子の場合」 遠藤周作 著

青年期に読むべき、価値ある一冊だと思います。
初版は昭和61年ですが、現在でも重版されており、新しい本が入手できます。

ぜひ、手に取ってみてください。

花が咲いたよ

朝、仕事に行こうとして家の玄関を出たら・・・

スイセンの花が咲いていた。

僕は、大好きな、八木重吉さんの詩を思い出した・・・

 花

花はなぜ美しいか
ひとすじの気持ちで咲いているからだ

僕は、悲しみの塊のような人間だから、
どうしても過ちを繰り返してしまう・・・

たとえ、ひとすじの気持ちであっても・・・
それが自分にとって、どんなに美しいものであっても・・・
だれかを傷つけるなら、それは間違いだ。

空を見上げて、きみに心から謝りたいです。
ほんとうに、ほんとうに、ごめんなさい。

そう思ったら・・・
大好きな、八木さんの詩を、もうひとつ、思い出せた。

 ひかる人

私をぬぐうてしまい
そこのとこへひかるような人をたたせたい

ほんとうに、その通りだ。
それができたら、どんなにか、こころが明るく、軽く、なるだろう・・・

こんな くだらない僕を・・・
ひと思いに、ぬぐいさってしまえたら。

それが僕の ほんとう であるのに・・・
それが僕の 偽りなき ほんとう であるのに・・・

昨日の報道発表を聞いて
たくさんのひとが・・・僕に会いに来てくれて
美しい涙を流してくださった・・・

ぬぐいさってしまいたいような・・・こんな 僕のために。

わたしのまちがいだった
わたしのまちがいだった
こうして草にすわれば
それがわかる

あと何度、混乱を繰り返したら、美しい気持ちになれるだろう・・・
どれだけ思い悩んだら、この僕を卒業できるだろう・・・

どこに向かって歩けば、いちばん僕らしく、歩けるだろう

誰ひとり、傷つけずに・・・
誰ひとり、困らせずに・・・
静かに美しく咲いていた・・・

今朝、見た あのスイセンの花のように。

花が咲いたよ
花が咲いたよ
幼かった僕なら、きっと・・・笑顔で
そう、今の僕に言ったに違いないけど。

Begin

今日は、出張だった。

遅れてはならない大切な打ち合わせだったから、時間には十分余裕を持って出た。
昼を食べていなかったので、途中、コンビニでパンを買って・・・
僕は、なつかしい公園の駐車場にクルマを止めた。

最初から、そうしようと決めていたんだ。
数分間でもいい。思い切り、思い出に浸りたかった・・・。
新しい風景を見る、その前に。

(街路樹が・・・なくなってる?)

たしか、あそこには、ポプラ並木があった・・・はずだ。
僕だけじゃなくて、公園もいつしか年齢を重ねてた。

今の職場に6年・・・
その前の職場には4年・・・
この公園によく立ち寄ったのは、さらにその前の職場にいた頃だから、もう10年以上前のことだ。

あの頃、言葉にできないことがあると・・・
帰り道、ここでよく空を見上げた。
空は青かったこともあるし、茜色だったことも、星が瞬いていたこともあった。

樹があった場所に、10年の歳月と、今がある気がする・・・

(空港を出発したばかりの飛行機だ・・・)

そうだ・・・みんなを乗せて・・・ 遠い、とおい、ところへ・・・

優しかった微笑み
あの日の拍手
それから・・・ それから・・・

思い出せることすべてが泣きたくなるほどに、美しいのはなぜ・・・

思えば、胸いっぱいに広がるさみしさと、別れのかなしみを感じながら
大切に思えてならない多くのひとのしあわせを祈り続けてきた・・・たくさんの三月。

これが・・・ 僕の仕事なんだ。

今は、まだ、どうしても、うつむきたくなるけれど・・・
きっと思い出せるはずだ。

Begin

そう、Begin

美しい思い出とともに、また、きっと・・・歩き出せる。

Object Pascalと、僕と。

『有終』

日本語には、たまらなく美しい言葉がある。
僕は、言葉たちに触れる度、いつも、その美しさを思う。

有終。

この言葉は、ことのほか、美しく、哀しみに溢れて、そして儚い。

卒業の日はいつも・・・
この言葉を、思い出してきたけれど・・・

きみは、今日まで、どれほどの悲しみにたえてきたことだろう。

今日、きみの話をきいて・・・
僕の理解の、はるか向こう側に、きみの深い悲しみがある気がした。

それでも、きみは、今日へ向かって、精一杯に歩いたんだね。
それだけは、僕にも理解できたよ。

きみは決して負けなかった。
ほんとうに、よく、がんばったね。

目指したことの終わり。その終わり方が「大切」なのはもちろんだね。
では、目指したことの、終わりへ向かって、どう「歩くか」。
その「歩き方」を、この冬の経験から、きみは確かに学んだはずだ。

若いんだ。一度くらい、がむしゃらになってもいい。
思い切り転んだっていい。口惜しさに、涙することが・・・ あっても、いい。

でも、最後に努力が報われて、
笑顔のきみに会えて、ほんとうに・・・、本当に・・・、よかった。

合格。心から、おめでとう。
僕自身、壊れそうなくらい、うれしい。

これだけの経験をしたんだ。
失くしたものよりも、きみが得たものは大きいはずだ。
それを『 何よりも 』大切にして、これからは、もっと きみらしく 歩くんだ。

ものごとには、必ず、終わりがある。
それが「いつ」訪れるのか、多くの場合、それもまた、見えている。
明日からは、きみが得たものが、そこへ向かう「歩き方」を きみに教えてくれるはずだ。

やがて、きみは、レディになる。
そう・・・ お父さんが愛した、きみのお母さんのような、すてきな、レディに。

自分も、それから周りの人たちも・・・
みんながしあわせになれる歩き方を、レディは最初に考える。

レディになったきみに会えないのは、とても残念だけれど・・・、
ひとつだけ、信じ切れることがあるから・・・

その時、きみのとなりには、きみを心から愛してくれる、
すてきな彼が、必ずいてくれるはずだ・・・。

たとえ、レディになったきみであっても・・・

彼の前でなら、もう表情を隠さなくてもいい。
彼の前でなら、もう無理して微笑まなくてもいい。
そう・・・、彼の胸でなら、安心して声をあげて泣いていい。

きみのほんとうを、心を、
これまできみにあったことのすべてを包む・・・
彼の優しさと、きみへの愛を、僕は心から信じている。

さっきは、必ずと言ったけれど・・・
僕の中には、唯一、終わることのない、永遠もある。

きみと僕との運命の線は、ここで交差し、再び離れ、日々その距離を増し、
もう二度と交わることはないだろう。それでも・・・。

今日、うまく言葉にできなかったけど、
これが、きみに、伝えたかったことなんだ・・・

きみと、きみのお父さん、弟さん、おばあちゃん、
そして・・・、きみのお母さん

きみと、きみにつながるすべての人のしあわせを願う
この想いは、永遠なんだ。

僕の中で、間違いなく、永遠なんだ。
終わりなんて、ない。

だから、空を見上げるたびに・・・
きみのしあわせを願い、祈っている。

いつも、そして

いつまでも ・・・